付5.アトピー性皮膚炎の歴史
アトピー性皮膚炎について最初に記載したものとしては、帝政ローマ時代にスエトニウスが、その著書「ローマ皇帝伝」の第2巻で初代皇帝アウグッスス(オクタヴィアヌス)について述べている箇所がよく知られています。
アウグッススは、毎年春の始めに鼻炎で悩まされ、いつも体中がかゆいためにいつも垢擦り器で烈しく擦っていたために皮膚が厚く堅くなっていたといわれています。
日本でのアトピー性皮膚炎の最初の報告は何かというと実ははっきりしていません。
大国主の尊が火傷を負ったウサギの背をガマのほで治療したというのが外用剤についての最初の記載ですが、日本書紀や古事記を読んでも湿疹やアレルギーについて書かれた部分は見あたりません。
源氏物語の末摘花の顔は膿疱性座瘡によるものかもしれませんが、アトピー的な要素を感じます。
欧米では、Willanが19世紀の始めころ、かゆみを伴った痒疹(prurigo)について報告していますが、同様の所見を19世紀の末にVon Hebraがヘブラ痒疹と名付けています。
Brocqはかゆみのために神経質になり掻いて生じた湿疹を神経皮膚炎(neurodermatitis)と呼びました。
Besnierはこの病気が気管支喘息や花粉症を合併し、家族に同じ病気を持っている多いことに注目し、ベニエ痒疹と命名しました。
アトピー(atopy)という言葉はギリシア語から来たもので、正常の位置にあるという'topy'に、否定を表す'a'をつけて、正常でないすなわち奇妙なという意味で、1923年にCocaが最初に用いました。
Cocaは血液中にアレルギーを起こす特殊な抗体(レアギン)の存在を指摘し、Sulzbergerらはアトピー性皮膚炎(atopic dermatitis)という名前をつけました。
その後このレアギンは、石坂公成らによってIgE抗体であることが発見されました。
しかし、アトピー性皮膚炎のすべてにIgE抗体が高くなっているわけでもなく、本人または家族にいつもアレルギー疾患があるとは限らないためにHanifin
& Rajka criteriaなどの診断基準が用いられています。
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